ブラジリアン柔術(グレイシー柔術)の5つのポイント

柔術の歴史

1900年 日本の柔道(柔術)がブラジルに渡る

1951年 伝説の柔道家木村政彦とエリオ・グレイシーとの一戦がブラジルにて行われる

1993年 ホイス・グレイシーが米国にてUFC第一回大会に優勝しグレイシー柔術が広まる

1997年 PRIDE.1」にてヒクソン・グレイシー対高田延彦が行われる

  ブラジリアン柔術(グレイシー柔術)とは、寝技・関節技を主体とした実践的な格闘技であり、1900年代講道館の柔道家・前田光世が、柔道使節団の一員として渡米し、柔道の普及のため、各地でボクサーや拳法家、プロレスラーと「異種格闘技戦」を行いました。

世界を転戦し、1000戦以上に及ぶ試合に勝利をおさめた彼は、最後に移り住んだ南米ブラジルで、移民の息子カーロス・グレイシーに、護身術として柔術を教えることになります。
    カーロスの末弟エリオ・グレイシーによって、高められたその格闘技術は、「グレイシー柔術」として、以後60年にわたり、ブラジルで独自の進化を遂げていったのでした。

やがてその完成された技術体系は、1993年、アメリカで行われた総合格闘技の大会で本領を発揮することになります。一族の代表ホイス・グレイシーは、参加選手中、最軽量にもかかわらず圧倒的な強さで優勝をおさめ、グレイシー柔術は一躍、脚光を浴びることになりました。

    グレイシー柔術の他流試合・総合格闘技における有効性は、現在の総合格闘技大会などで既に証明されていますが、実際のグレイシー柔術の姿はあくまでもセルフディフェンスとしての組技格闘技です。力の弱い子供、女性など体格や性別を問わず自分を守る”セルフディフェンス”が本来のグレイシー柔術の姿です。誰にでも身につけられる実践的な格闘技として、またゲーム性が高く楽しめる生涯スポーツとして、今なお発展をしています。

 1997年10月11日、東京ドームでヒクソン・グレイシーvs.高田延彦をメインイベントにした『PRIDE.1』が開催された。

 総合格闘技を世界的な人気に引き揚げ、今もなお語り継がれる『PRIDE』。その記念すべき第1回大会は、プロレス界で“最強”を謳った高田と400戦無敗の異名をとるヒクソンが対決することで大きな話題を呼んだ。

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